OPERA

OPERAはグランサッソ地下研究所で行われたニュートリノ実験であり、 2008年から2012年までCERNからのビームを受け取っていた。 アルプスとアペニン山脈を横切る730 キロメートルである。 その課題は、 ミューニュートリノからタウニュートリノへの転移を直接に見ることであった。
消失ではなく出現
ほとんどの振動実験は、 ニュートリノが欠けていることを測る。 Super-Kamiokandeは1998年に、 ミューニュートリノが地球を通る途中で消えることを示した。 それがどこへ行くのかは、 この検出器には見えなかった。
OPERAはまさにそれを示そうとした。 そのためにはタウニュートリノを検出しなければならない。 そしてタウニュートリノは、 タウ・レプトンをつくることによってしか自らを明かさない。
このレプトンの寿命はおよそ0.3 兆分の1秒であり、 崩壊するまでに1 ミリメートルに満たない距離しか進まない。 したがって非常に短い飛跡を見分け、 その中に折れ曲がりを認めなければならない。 タウが崩壊し、 その娘粒子が別の方向へ飛び去る地点である。
電子的な検出器ではこれを分解できない。 もっとも精細なワイヤーチェンバーでも数十分の1ミリメートルにとどまる。
鉛とフィルムのれんが
OPERAの解決策は古い技術への回帰であった。 検出器はおよそ150,000 個のれんがからなっていた。 それぞれは56 枚の鉛板とそのあいだにはさまれた写真乳剤層の積み重ねで、 重さは8 キログラム強、 大きさはおおよそ靴箱ほどであった。 合わせて1,250 トンになる。
鉛はそもそも相互作用が起こるための質量を与える。 乳剤は1 マイクロメートル未満の分解能で飛跡を記録する。 これはどの電子的な検出器よりも千倍精細である。
その背後にある手順
乳剤には決定的な欠点がある。 すべてを蓄積してしまい、 チップのように読み出すことができない。 検出器の中に何年も置かれたフィルムは、 使い物にならない飛跡を何百万も集めてしまう。
解決策は分業であった。 れんがの壁のあいだには電子的な検出器が吊るされており、 何かがどこで、 そしていつ起こったかを粗く示した。 それを受けてロボットが該当するれんがを壁から取り出し、 フィルムが現像され、 自動的に顕微鏡で調べられた。
これにより乳剤はもはや受動的な記録媒体ではなく、 探索過程の一部となった。 この手順によって、 150,000 個のれんがの中から、 何かが記録されているまさにその一つを取り出すことができた。
結果
最初のタウ候補は2010年に見いだされた。 2015年までにその数は10個になった。
何年もの稼働から10事象と聞くと少なく思えるが、 これは大きな成果である。 期待されるバックグラウンドは1事象未満であり、 統計的な有意性は6.1 標準偏差に達した。 素粒子物理学が発見と呼ぶ5という閾値をはるかに超えている。
これによりνμ → ντという転移が直接に証明された。 そもそもタウニュートリノを検出したDONUTと、 消失の測定とを合わせて、 ニュートリノ振動の描像は閉じられた。
光速をめぐる件
2011年、 OPERAは自らのニュートリノが光よりおよそ60 ナノ秒早く到着したと報告した。 この知らせは世界を駆けめぐった。
注目すべきは、 共同研究グループがこれをどう扱ったかである。 彼らはこの知見を明確に未解明のものとして公表し、 専門家に検証を求め、 アインシュタインを反証したとは主張しなかった。 代表者は、 何か月も誤りを探したが見つからなかった、 だからこの件を公開するのだ、 という趣旨のことを述べた。
検証は原因を突き止めた。 時間測定における完全に嵌合していない光ファイバーのコネクタと、 さらに精度の狂った発振器である。 補正ののち、 ニュートリノは光速で運動していた。 2012年にはグランサッソのほかの三つの実験がこれを独立に確認し、 OPERA自身も訂正した測定結果を示した。
この経過は今日、 教訓的な事例とみなされている。 誰にでも起こりうる誤りのためではなく、 それに対する開かれた対応のためである。
関連項目
出典
- OPERA共同研究グループ: Discovery of τ Neutrino Appearance in the CNGS Neutrino Beam with the OPERA Experiment, Physical Review Letters 115, 121802 (2015).
- OPERA共同研究グループ: Measurement of the neutrino velocity with the OPERA detector in the CNGS beam, JHEP 2012, 093 — 訂正版。