メルヴィン・シュワルツ

メルヴィン・シュワルツ(Melvin Schwartz)(1932年11月2日 – 2006年8月28日)は、 アメリカ合衆国の物理学者である。 ニュートリノを道具に変えた着想は彼に由来する。 すなわちニュートリノビームを造るという着想である。
この着想とそこから生まれた実験によって、 彼は1988年、 レオン・レーダーマン(Leon Lederman)およびジャック・シュタインバーガー(Jack Steinberger)とともに、 ノーベル物理学賞を受けた。
1960年の着想
それまでニュートリノは、 見つかるところで取るものであった。 太陽から、 あるいは原子炉からである。 どちらの線源も、 供給するものを供給するだけである。 エネルギーと方向を選ぶことはできない。
当時コロンビア大学にいたシュワルツは、 逆に考えた。 粒子加速器はパイ中間子を生み出す。 パイ中間子は崩壊し、 その際にニュートリノを放つ。 崩壊区間の背後に十分に厚い壁を置けば、 ニュートリノ以外のすべてが止められる。 通り抜けてくるものは、 既知のエネルギーをもつ指向性のビームである。
彼自身の説明によれば、 この考えは、 高いエネルギーで弱い相互作用をどう調べられるかという問いをめぐる議論の最中に浮かんだ。 その答えはこうであった。 弱くしか相互作用しない唯一の粒子を用いる、 というのである。
これによってニュートリノは、 もはや単なる観測の対象ではなく、 調べるための手段となった。
1962年の実験
この着想はブルックヘブンの交替勾配シンクロトロンで実現された。
遮蔽は13.5 メートルの鋼鉄からなっていた。 その材料は退役した戦艦の装甲に由来する。 実用的であると同時に安価な解決策であった。 そのような鋼鉄は、 核兵器の時代以降の現代の鋼鉄がもつわずかな放射能を含んでいないからである。
検出器としては10 トンの火花箱が用いられた。
数か月の運転ののち、 評価に用いうる51の事象が得られた。 決定的だったのは、 その中に現れなかったものである。 生成された粒子はすべてミューオンであり、 1個も電子ではなかった。
ニュートリノが一種類しかないのであれば、 両者はほぼ同じ頻度で現れなければならなかったはずである。 つまりこの所見は、 ミューオンとともに生じるニュートリノが、 ベータ崩壊から生じるものとは別の粒子であることを証明した。
ミューニュートリノが発見された。 そしてそれとともに、 標準模型における粒子族という考えの基礎が据えられた。
そこから生まれたもの
この方法は今日まで加速器ニュートリノ物理学の全体を支えている。 MINOSからT2K、 OPERA、 そして将来のDUNEに至るまで、 すべてのビーム実験はこの型に従って働いている。 陽子を標的に当て、 パイ中間子を束ね、 崩壊させ、 ほかのすべてを遮蔽するのである。
2012年にフェルミ研究所で成功したニュートリノ通信も、 この造りのビームに基づいている。 1960年に一つの考えとして始まったものが、 今日では標準的な装備となっている。
その後の異例の道
シュワルツは1966年にスタンフォード大学に移った。 1970年代の初めに彼は研究を離れ、 データ安全保障の企業Digital Pathwaysを創立した。
のちのノーベル賞受賞者にとって、 これは注目すべき一歩であった。 彼はその理由を、 この課題に魅力を感じたからだと述べており、 20年近くこの企業を率いた。
1991年、 彼は物理学に戻り、 ブルックヘブン国立研究所の高エネルギー物理学担当副所長となった。 つまり彼の実験が行われた、 まさにその場所である。 のちに彼は再びコロンビア大学で教えた。
位置づけ
シュワルツの寄与は、 方法上の一つの着想が個々の発見よりも大きな効果をもちうることを示している。 「ニュートリノを狙って作り出せるか」という問いは控えめに聞こえる。 それに答えたことが、 今日まで成長を続ける一つの研究分野を切り開いた。
関連項目
- レオン・レーダーマン — 彼の同志
- ジャック・シュタインバーガー — 三人目
- T2KとDUNE — 今日のビーム実験
- 標準模型 — 三つのニュートリノ族
出典
- G. Danby, J.-M. Gaillard, K. Goulianos, L. M. Lederman, N. Mistry, M. Schwartz, J. Steinberger: Observation of High-Energy Neutrino Reactions and the Existence of Two Kinds of Neutrinos, Physical Review Letters 9, 36 (1962).
- ノーベル財団: ノーベル物理学賞1988年。