Homestake実験

サウスダコタ州の深さ1.5 キロメートルの鉱山にある Homestake実験。
サウスダコタ州の深さ1.5 キロメートルの鉱山にある Homestake実験。写真:US Department of Energy, パブリックドメイン, Wikimedia Commons

Homestake実験は、 太陽から来るニュートリノを検出しようとした最初の試みであった。 レイモンド・デイビス(Raymond Davis)が1968年から1994年まで、 サウスダコタ州の金鉱でこれを運営した。 この実験は30年にわたって誰にも説明できない結果を与え、 それによって物理学史でもっとも実り多い誤り探しの一つの始まりとなった。

課題

1960年代まで、 太陽内部の核融合はよく根拠づけられた理論であったが、 それを直接に観測した者は誰もいなかった。 われわれに届く光は表面から来るものであり、 そのエネルギーがそこへ達するには数万年かかっている。 いま中心核で何が起こっているかを、 光は明かさない。

ニュートリノは明かす。 ニュートリノは妨げられることなく中心核を離れ、 8分あまりでここに届く。 それを数える者は、 太陽が燃えているさまを見ていることになる。

ジョン・バーコール(John Bahcall)は、 そのうちどれだけが到達するはずかを計算していた。 デイビスの課題は、 それを見つけることであった。

装置

この方法は、 ブルーノ・ポンテコルボ(Bruno Pontecorvo)が提案した核反応に基づく。 電子ニュートリノが塩素37の原子核を、 アルゴン37の原子核と電子に変えるのである。 閾値は814 キロ電子ボルトにある。 これはホウ素8の崩壊に由来するまれで高エネルギーのニュートリノだけが捉えられるほど高く、 つまり全太陽ニュートリノの1パーセント未満である。

塩素源として用いられたのはパークロロエチレン、 すなわち普通の洗浄液である。 その615 トンが鋼のタンクに収められ、 サウスダコタ州リード近郊のHomestake鉱山の4850 フィート坑、 地下1,478 メートルに置かれた。 その上の岩盤が宇宙線ミューオンを遮る。 そうでなければあらゆる信号が覆い隠されていたであろう。

本当の難しさ

バーコールの計算によれば、 このタンクの中で生じるアルゴン原子は2日に約1個である。 したがって2か月の測定期間で集まるのは数十個の原子であり、 それが615 トンの液体、 すなわちおよそ10³⁰ 個のほかの原子の中にあることになる。

ほとんどの専門家はこれを見込みのないことと考えた。 デイビスは化学者であって物理学者ではなく、 化学者にとってこれは不可能な課題ではなく、 難しい課題であった。

彼の方法はこうである。 数週間ごとにタンクにヘリウムを吹き込む。 この希ガスが同じく不活性なアルゴンを運び去り、 パークロロエチレンは残る。 アルゴンは冷却トラップで凍結され、 ごく小さな計数管に移され、 そこでその放射性崩壊によって1個ずつ検出された。 アルゴン37の半減期は35日である。 数か月でほぼすべてを数えられるほど短く、 抽出の作業に耐えるほど長い。

それだけではない。 デイビスは自らの方法が本当にあらゆる原子を見つけることを証明した。 彼は既知のごく微量のアルゴンをタンクに入れ、 再び取り出したのである。 回収率は90パーセントを超えた。 これ以上厳しくはありえないほどの陽性対照である。

誰も望まなかった結果

1968年から数値が出そろった。 デイビスが見いだしたのは、 バーコールが計算した値の約3分の1であった。

これはきわどい結果ではなく、 大きく口を開けた隙間であった。 そして思いつく説明は明らかであった。 バーコールの計算が誤っているか、 デイビスの測定が誤っているかである。

二人は数十年にわたって検証を続けた。 バーコールは太陽モデルをますます精密にし、 日震学によって独立に確認させた。 太陽表面の振動から内部構造が導けるのであり、 そこにニュートリノはまったく必要ない。 デイビスは校正を繰り返し、 自分のタンクが別のものに反応していないかを調べた。 とりわけ彼はタンクを一つ原子炉のそばに置き、 そこでは予想どおり何も見つからなかった。 原子炉はニュートリノではなく反ニュートリノを放つからである。

二人とも誤りを見つけなかった。 誤りが存在しなかったからである。

解決

太陽ニュートリノ問題は2002年まで未解決のままであった。 そのときSudbury Neutrino Observatoryが、 欠けていたニュートリノは消えたのではなく、 ただ変換されていただけであることを示した。 デイビスの塩素タンクが原理的に反応できない種類へ変わっていたのである。

三つの種類をすべて足し合わせれば、 バーコールの数値は合う。

つまりデイビスの測定は最初から正しかった。 ただ、 みなが思っていたのとは別のものを測っていたのである。 そしてまさにそこに発見があった。

その後

デイビスは2002年に小柴昌俊とともにノーベル賞を受けた。 そのとき彼は87歳であった。

この場所そのものにも注目すべき続きがある。 同じ坑道には今日、 DUNEの遠方検出器が建設されている。 合わせて68,000 トンの液体アルゴンを収める四つのモジュールである。 かつて洗浄液の入ったタンクが一つ置かれていた場所で、 これからCP対称性の破れをめぐる問いに決着がつけられる。

関連項目

出典

  • R. Davis Jr., D. S. Harmer, K. C. Hoffman: Search for Neutrinos from the Sun, Physical Review Letters 20, 1205 (1968).
  • B. T. Cleveland ほか: Measurement of the Solar Electron Neutrino Flux with the Homestake Chlorine Detector, The Astrophysical Journal 496, 505 (1998).